はてブを見てたらおもしろい文章が見つかったので
普通の女子大生は、Google+で「日本一」になんかなっちゃいない。 - 真性引き篭もり はてブコメント
インターネットを始めた頃の香ばしい衝動を思い出させる素敵な文章でした。インターネットさえあればいい!!そんだけっ!
あとChikirinとザッカーバーグのくだりでめっちゃ笑った
普通の女子大生は、Google+で「日本一」になんかなっちゃいない。 - 真性引き篭もり はてブコメント
インターネットとは希望の地である。
生きる望みを最後に託して辿り着いた最後の聖域である。
インターネットという地獄では、醜い者だけが生き残るのだ。そういう風に出来ている
のだ。
太陽の写真は正しく、Aya Sakagutiに大きく空いた「美しいね」のセキュリティーホールだったのだ。素敵さの脆弱性だったのである。
自らが普通の人間であると世間一般に認められさえすれば勝ちなのだ。普通であると認められる事は、「勝利者である事を認められる」とイコールなのだ。
そういえば、先日インギーと内田裕也と僕の3人で白木屋に飲みに行った時に裕也さんが核心を突いた話をしていた。
何故インターネットという希望の聖域の大切な動機という最も偉大なる感情の衝動を、就職活動という大人達が作り上げた陳腐な社会の枠組みのブラックボック スにアウトソーシングしてしまうのか、僕には全く理解が出来ない。そこが一番大切な所ではないか。そこが一番肝心な所ではないか。それだけではない「アラ ビア語でほめられるなんて、一生ないと思っていた」というのも全く同じである。インターネットという自由世界で得た結実を、アラビア人などという現実世界 の大陸の外国語の完全なブラックボックスに委託して書き表してしまうのか。何よりもこれが許せない。
そうじゃなかったはずだ。そんなんじゃなかったはずだ。僕らが夢見て懸命に生きたインターネットはそんなものじゃなかったはずだ。
正直に言うべきなんだよ。興奮したって。震えたって。インターネットで誰かに認められて、心臓がどくんどくん言ったって。
インターネットはいつだってそうだった。人の感覚を撹乱し、現実を誤認させ、おかしな興奮に巻き込んだんだ。それがインターネットだったし、それがイン ターネットなんだ。インターネットで得た興奮と感動を、インターネットで抱いた野心を、インターネットで見た夢を、インターネットで愛した人を、インター ネットで残した軌跡を、僕らは決して捨て去るべきではないし、微塵も恥じるべきではない。僕らは全力でインターネットしたし、全てをなげうってインター ネットしたじゃないか。
ザッカーバーグと結婚して、おいしい天丼を食べて、良く効く胃薬を飲んで、あったかい布団でぐっすり眠りたいんだ。
インターネットを始めた頃の香ばしい衝動を思い出させる素敵な文章でした。インターネットさえあればいい!!そんだけっ!
あとChikirinとザッカーバーグのくだりでめっちゃ笑った